「これまでのこと これからのこと その4」
Ciao bellaでは、島田シェフとコンビネーションがとれるようになり、料理も以前に増して、任せていただけるようになっていた。調理ができるようになってくると、方法の理論だけではなく、その料理ができた歴史というか背景にも興味をいだくようになってきた。イタリア料理は、南北に長いイタリア各地方の郷土料理の集合体であり、各地方それぞれの気候風土にあった食材を活かした料理になっている。また、宗教的な行事の際にもてなされる料理やお菓子も特徴のあるものが多く、普段の生活の中に、そういった食文化が代々受け継がれてきているのがイタリアという国の魅力なのではないかと思われる。
調理方法だけを身につけるのではなく、その料理の生い立ちであったり、意味であったり、場所や季節を感じ取って思いをはせることにより、実際にイタリアに行って教わったわけではないのだが、少しでも現地の味や雰囲気に近づくことができるのではないかと考えるようになっていた。イタリアの食文化というものにどんどんとのめり込んでいき、シェフに本を借りたり、休みの日に近くの図書館に行って料理の本を借りたり、都内にあるイタリア各地方の特色を感じられるレストランに食事に行ったりと、できるかぎりイタリアに触れる機会を増やしていった。大学の同級生も都内の有名イタリアンで働いており、情報収集によく話を聞きに行っていた(その彼は現在仙台で「ピッツェリア・トラットリア ダ ジェンナーロ」 http://www.da-gennaro.com/ というお店を営んでいる)。イタリア料理とはなんぞや?なんでイタリア料理なんだろう?もし自分でお店をするとしたら、地元山形に帰るんだったら、イタリアでも北の方の料理がいいのだろうか?などなど、考えていた時に、図書館で一冊の本に出合った。「吉野の里のスローフード」
奈良の東吉野の山奥で完全予約制のイタリアンレストランを営んでいるオーナーシェフ夫妻の本であった。イタリアで修業されたシェフが、ご夫妻でお店の前で自ら畑を耕し、吉野の山や川で捕れた旬の食材を使った予約制のレストランの本。いつかこんなお店ができたらいいな、自然の中で、近くにあるものを活かし、わざわざお越しいただいたお客様に、自らが食材を探し、作り、収穫し、その土地と旬を感じる最高の料理を提供する。これが理想のお店だと感じた。夏休みをいただいた機会に、そのお店に行こうと決心し、予約の電話をした。しかし、行こうと予定していた日程には、そのお店は閉店することに決まっていた。。。驚いた矢先に「閉店後はどうされるんですか?」と聞いていた。聞くと、兵庫県西宮で新店舗をオープンさせるということだった。すかさず「スタッフの募集はされていますか?」食事に行くつもりが、面接に行くことになった。そのころ、島田シェフにはもう少しイタリア郷土料理について学びたい旨をお伝えしていて、移れるお店をちょうど探していた時だった。
夏休みを利用して、面接に東吉野に向かった。深夜バスで名古屋まで行き、そこから近鉄で榛原まで向かう。榛原からバスで東吉野村に。一日4本しかバスがなかったので、面接時間がランチ終了の15:00ごろだったため、13:00ぐらいに到着するバスに乗った。山間の道を走るバスは、次第に乗客が自分以外いなくなっていった。運転手から「どちらまで?」ときかれ、レストランまでを伝えると、「ああ。あそこね。」的な感じで、近くで降ろしていただいた。さぁ、東吉野についた。は、いいが、面接の時間まで、あと2時間。しかも、小雨が降りだした。もちろん、時間のつぶせるスタバがあるわけでもないので、近くの川にかかる橋の下で雨宿り。完全に怪しい。小雨の降る中、川に眼を移すと鮎が泳ぐのが見えた。すごく懐かしい感覚がよみがえった。山形の実家の裏には寒河江川が流れ、川で遊んで育った自分にとって、あっという間に時間が過ぎた。カートを引いて、いざ面接に。
面接は、あっけなく終わった。断る理由はないと。
さらに、帰るバスがなくなってしまい、一晩泊めていただくことになった。イタリアでの話や、理想の地で思い描くレストランを続けてきたオーナーシェフ夫妻のお話を沢山伺いながら、次の新しいお店の夢を膨らましていった。
その5につづく