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28歳にして、レストランに入った。一般的には遅すぎるスタートではあったが、背水の陣というか、なにか自分の手でつかむものが欲しかったような気がする。

東京は六本木の「cuisine nature Ciao Bella」(現在はape cuisne natureという店名で東京大学駒場リサーチキャンパスで営業http://www.ciaobella.jp/ape/ )というオーガニックイタリアンに入った。その当時、東京でもオーガニックにこだわっているお店がまだ数少なかった。

東京チャオベッラ

「自然な料理」を提唱する島田伸幸シェフのもと、食材のことや包丁の扱いや基礎的な料理のこと、レストランサービスなどを一から教わった。最初の3か月は本当に辛かった。朝は早くから、終電まで、慣れていたつもりが体がついてこない。まったくできない自分が悔しかった、本当に悔しかった。これが自分の実力なんだと痛感した。悔しい思い、ここからがスタートなんだと、毎日必死になった。シェフの動きをみたり、当時の先輩たちにも仕事のやり方や、コツを教えていただきながら、まずは、レストランの一部として機能するように仕事を覚えていった。仕事が終わり、くたくたになった帰りの電車では、その日の仕事内容やメニュー、シェフからの指摘などをノートに書いて復習してて体に覚えさせた。また、シェフや先輩から借りた料理本や専門誌を読み漁ったり、休みの日は小アジなどを買って自宅で包丁の扱いの練習をした。その甲斐あってか、半年ぐらいからは、自然と仕事の先を読んで、段取りができるようになっていた。自分ができることが増えていく、仕事が楽しくなってきた。

レストランの厨房(お店の大きさによって違いはあれど)では、シェフが頂点にいて、その次にセコンド(2番手)といわれるシェフの助手的ポジションがある。そのポジションになってようやく仕事をまかせてもらえるようになる。基本は年功序列である。先にお店に入った人が先輩でその順でそのポジションが回ってくる。上が辞めたり(修業時代は3年ぐらいでお店を変わる人が多い)系列店に配置換えにならないかぎり空きがでない。しかし、運よくというか1年半ぐらいでそのポジションが回ってきた。必要に迫られ調理もどんどん覚えていかざるをえなかったが、自分が成長できていくのが見えていくのでモチベーションは高かった。

また、Ciao Bellaでは、アロマセラピストの先生(鈴木理恵先生http://www.ars-inc.co.jp/ )とアロマイタリアンというイベントをやっていたり(これは小豆島でも開催)、千葉の成田に有機野菜の農家さんから畑を借りて野菜を作ったり、年に何回か島田シェフがお店以外の場所で料理教室を行ったり、代々木公園でのアースデイに出店したりと、いろんな活動を行っていた。その経験が今でも本当に生きている。

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(2014年10月19日に小豆島で島田シェフと鈴木先生を招待して開催されたアロマイタリアン)

みんな才能というものは潜在的にあって、ポンっとでてくるもの、降ってわいてくるものだとずっと思っていた。なんで自分はそれができないんだろうと思っていた。それは、勝手な自分の幻想であることに気が付いた。

ポンッとでてくるものでも、降ってわいてくるものでもなく、強制的にでも自分の現実を見つめるところから始め、自分で理想に少しでも近づくために、必死になってもがいて、考えて、真似して、繰り返して繰り返して、また繰り返して、やっと血となり肉となって、自分の体の一部となって初めて、少し自分の考えや思いを表現できるようになるものなんだなと。

その4につづく