2011年8月に小豆島で「リストランテ フリュウ」をオープンした当時のこと、現在、そして、これから先の未来について、記録と自分の頭を整理する意味も含め、不定期に少しずつ綴っていけたらと思う。
小豆島に引っ越してくる前は、兵庫県西宮市のイタリアンバールと、レストランで働いた。
その前は、東京六本木にある、オーガニック イタリアンレストラン。
そこで、料理を本格的に学び始めた。レストランに入ったきっかけは、その当時、2005年ごろ「LOHAS」や「スローライフ」という言葉がトレンドで、オーガニックや環境問題、CSR、自然回帰など、これからの生き方を考えさせられる気づきのある時代だった。そのような中、飲食店での経験があった自分が今できることは、自分の理想とするライフスタイルや、社会的価値を実現させるために、一から料理を学び、食を通して具現化していこうと、オーガニックレストランで修業の道に入った。
レストランに入る前は、本当にいろんな方にお世話になり刺激的な世界を見せていただいた。いまだに、その当時お世話になった方たちとは御縁を続けさせていただいている。小豆島にも来て頂いたり、ときには相談やご指導をご教授していただいたりと、メンター的存在としていつも頼りにさせていただき、感謝の念を忘れたことがない。
1976年山形県西川町生まれ。夏スキーで有名な月山という山のふもとで育ち、家の裏は清流寒河江川が流れる。実家は製材業を営んでいた。小さいころは、春は雪解けとともに、山に入り山菜を採ったり、渓流を登り魚を釣ったり、夏は裏の川で魚を釣ったり、もぐったり、秋は山に天然のきのこや、栗やブナぐるみを拾いに行ったり。今思えば自然の中での遊びが食との自然な関わりだった。
そんな幼少期を過ごしたせいもあるのか、東京の生活の中で、自分の原点に帰りたいという気持ちの流れと時代の流れがリンクし、自然と料理にひかれていったのかもしれない。
その2につづく